例えば、C-durは単純、G-durは雄大な音楽、というような言説を時々目にします。
フル屋は「嘘だ、とんでも理論だ」と思っていましたが、今回、まじめに考えてみました。
「歴史的なもので教育することによって得られるもの」というのが私の結論です。
調性には性格がある?
フル屋です。
調性に性格があると主張する人たちがいます。
「C-durは単純」「G-durは雄大」とかなんですが、
フル屋は「何、嘘っぽいこと言っているの?」「そんなわけないじゃん!?」と思っていました。
しかし、ネットやSNSを見ていると割とまじめに主張する人がいることに気付きました。
「何だか分からないけどそう感じる」という人も多数います。
ということで、フル屋もマジメに理由を考えてみることにします。
調整に何らかの性格があると仮定して、理由は何ですか?あるいは理由は何と考えられますか?
調性に性格があるって誰が言い始めたのか?
ウェブ上の情報では、シャルパンティエ(1643-1704)、マッテゾン(1681-1764)、シューバルト (1739-1791)などが言い始めたようです。
つまり、17世紀くらいの昔から言っている人がいるようです。
それぞれが言っていることが一致している調も食い違っている調もあります。
何を疑っているか
どうして「調ごとに性格がある」という言説に対して、インチキのように感じるかというと
物理的な事象とマッチしないからです。どうしても物理的情報と性格という情報を結び付けられません。
純正律
ドから始まる長音階でもレから始まる長音階でも同じ周波数の比になります。
最初の音の周波数を1とすると、第2音、第3音の順に、9/8, 5/4, 4/3, 3/2, 5/3, 15/8, 2となります。
この比はどの音から始まっても同じです。520Hzを基準にしようが590Hzを基準にしようが定義上、同じ比になります。
なぜ、始まりの音が数十Hz違うだけで性格まで違うんでしょうか?
平均律
平均律は1オクターブを対数的に12等分して音を決めます。
平均律で考えても始まりの音が変わるだけで曲の性格が変わるとはどうしても思えません。
なぜか議論がずれる
会話やTwitterでは議論の論点がずれていきます。
相手が言ったことに関して、関係がありそうでちょっとずれたことを返すのはコミュニケーションの一種、いやコミュニケーションそのものだ、というのは仰る通りかもしれません。
ですが、ここはブログです。論理で迷子にならないようにしたいと思います。
曲を聴いて調が分かる
「曲を聴いて調が分かる」という議論とは似ているようで全く違う議論をしています。
フル屋は曲を聴くと指が動きます。で、こことここにシャープがついているからE-durかな?とかで調が分かります。
音楽理論的には、ドミナントコード⇒トニックをみつけてA7→DだからD-durとか判断するんでしたっけ?和音まで聴きとれる人はこれで分かるんでしょう。
こういう判断をしない人でも、これらの発展形として調が分かるんではないかと思います。
フル屋は「曲を聴いて調が分かる」というのは上記のようなものを想像します。
さて、どこに調の性格が出てくるんでしょうか?
仮に「この曲は雄々しい印象を受けるからG-durだ!」と判断する人が存在するとしても、どうやって分かっているかの議論をしているわけではなく、「雄々しい」と「G-dur」が結びつく理由を議論しているんです。
移調すると気持ち悪い
「吹奏楽などで原曲から移調されると気持ち悪い」
「カラオケでキーを変えると気持ち悪い」
という意見には同意です。
良く知っている曲で調を変えると、聞きなれているものと異なるので気持ち悪くなります。
楽器で吹いたことがある曲で移調されたのを聴くともっと気持ち悪いですね。少なくとも違和感あります。その主張には同意します。
しかし、「移調すると気持ち悪い」という議論は、なんら「G-durは雄々しい」という主張と関連していませんよ。
「この曲は雄々しいからG-dur相当であり、他の調で演奏されると違和感あり」と主張しますか?仮にそうであっても、「雄々しい」と「G-dur」が結びつく理由が知りたいんです。結びついた後の議論ではないです。
かすっている気はするが
無関係ではなさそうだと思った言説を並べてみます。
楽器として気持ちいいか、気持ち悪いか
この主張はあながち無関係とも言い切れません。
例えばフルートではFisとかEとか出しにくい音です。これらが使われるような調は「複雑そう」「苦しそう」「なんだか不協和」となってしまうのは正しい気もします。
あるいは、バイオリンなどの弦楽器で共鳴しやすい音と共鳴しにくい音があるかもしれません。
ということで「楽器XXXで演奏するXXX調はXXXXXだ」という主張は論理的に説明できる余地があります。
今のところそのような主張を見つけるには至っていませんが可能性はあります。
属調に転調すると煌びやかになる
C-durからG-durに転調すると、シャープが一個つきます。
ダイアトニックコードで言うと、Dm(レ ファ ラ)がD(レ ファ# ラ)に変わります。
第3音が上がるのでテンションが上がった感じになるということです。
あながち無視できない主張と思います。
以下の疑問に答えることができるか分かりません。
- シャープってどんどんつけていくとフラット系になって元に戻るのはどう説明する?
- 転調したときの比較ではそうだけど、単独で感じることができるか?
仮説:神に与えられしもの
「神がC-durは単純と考えた」
「人としての内的欲求によりG-durは煌びやかで雄々しい調べとなる」
という何か論理的でないものに根拠を求める主張です。17世紀や18世紀であれば説得力があったと思います。
反証できるような主張ではないので間違いとは言いませんが、、、、、
仮説:歴史的なものであり教育されるもの
「G-durの名曲は雄々しいものが多い。したがってG-durが流れると雄々しいものを予想してしまう」
つまり、
- Xさんという作曲家がG-durで雄々しい曲を作った
- Yさんという作曲家がG-durで雄々しい曲を作った
- Zさんという作曲家がG-durで雄々しい曲を作った
- Wさんという作曲家がG-durで雄々しい曲を作った
- ……
が繰り返された結果、「G-durと言えば雄々しい曲」となったという説です。
この説は納得できます。
音楽の本には、まるで人ならみんなこう感じるでしょ、と何ら根拠なく主張することがあります。(音楽の本に限らないのかもしれませんが)
でも、実は色々な曲による刷り込みがあるからこそ、というのに気づくことがあります。
例えば「短調は暗く、哀しい」とするのも歴史的なもので教育されるものです。
「今日は楽しいひなまつり~♪」と短調で歌っても何ら違和感ない民族がいることを思い出しましょう。「哀しい」とされる短調に「楽しい」という歌詞をあてていますよね。
「XX-durはXXXXだ」という主張も、「短調は哀しい」という主張と同じように、今までの曲による刷り込みのせい、と考えてはどうでしょうか。
フル屋は納得できます。というか、それ以外の主張で納得できるものがありません。
ということで、フル屋の結論としては、
「調の性格は、歴史的なもので教育することによって得られるもの」
です。
まとめ
なぜ調に性格があると考える人たちがいるかについて考えてみました。
「調の性格は、歴史的なもので教育することによって得られるもの」と考えます。
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